車漫画「ぜっしゃか! 私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科」~登場車を紹介
車漫画「ぜっしゃか! 私立四ツ輪女子学院絶滅危惧車学科」の1巻目に登場する車を紹介しましょう。とにかくオールドタイマーかノスタルジックヒーロー読者なら感涙もののラインアップになっています。
目次
スズキ フロンテクーペ(1971年発売)
アメ車のムスタングの人気がとてもあった頃、国産車はみなどこかしらムスタングに似たデザインを採用していました。中でも特に似ていたのがトヨタ セリカリフトバック、三菱 ギャランGTO、そしてスズキ フロンテクーペだったのです。
フロンテクーペのデザインは、リアがストンと落とされたクーペルックで、ムスタング風のリアウインドウに続くエアダクトが付けられていました。インパネはは、当時人気のあった6連メーターが、軽自動車であるのにも拘わらず豪華におごられていました。
軽自動車の馬力競争末期に登場したアダ花のような存在です。水冷2ストローク3気筒エンジンは、360ccながら37PS!タコメーターは高性能の証か、1万回転までありました。オートバイのGT380やGT750などの2ストバイクの名車を送り出したスズキならでは水冷2ストマシンではないでしょうか。
スバル サンバー(初代 1961年発売)
スバル初の軽自動車で、大ヒットしたスバル360をベースに開発されたキャブオーバーワンボックスです。フロントには、開閉可能な大きな空気取り入れ口がありました。クーラーなどは、クラウンなどの超高級車にしか装備されてない時代のクルマの冷房は、原始的に走行風を取り入れるものでした。確か、トヨタ パブリカにも装備されていました。「ぜっしゃか!」では、莉子がおじいちゃんのクルマと再会する話として描かれていて、思わずホロっとさせられます。
マツダ T1500(1959年発売)
マツダが、乗用車に進出する前に一生懸命作っていたのがオート三輪トラック。プラモデルにもなっていることから、人気もかなりあるのではないでしょうか。1959年の発売から途中、受注生産となって1974年まで発売されていました。道理で、70年代末に高校生だった私が天然記念物のT1500を目撃できたのですね。納得。
カワサキ 500SSマッハⅢ (1969年発売)
世界最速を標榜するカワサキの意欲作。2スト3気筒エンジンは、500ccの排気量から60PSの最高出力を発揮。重心が後ろよりに、あったため簡単にウイリーしてしまい制御不能に陥ることも度々あり命を落とすライダーが後を絶たないことから「後家さん製造機」などと揶揄されることもありました。
いすゞ ベレットGT-R(1969年発売)
今は、トラック専門メーカーとなったいすゞ。2000年頃までは、乗用車やSUVも制作販売していました。今でも時折、乗用車復活の噂が絶えないいすゞです。国産車で、初めてGT-Rを名乗ったのがベレット。GTの証であるエンジンは、1600ccDOHCから120PSを発揮する高性能ぶり。0-400mは、16.6秒で最高速度は190kmをマーク。発売前に参加した鈴鹿12時間レースでは、トヨタ 1600GTを抑えて総合を優勝を成し遂げた実力派。黒塗りボンネットにナンバー脇のフォグランプが、精悍なイメージとなり、室内は革巻きステアリングに6連メーターは高性能をアピールしています。後継モデル、ジェミニに受け継がれるいすゞのテンロクスポーツの誕生です。
BMC バンデンプラ プリンセス(1968年発売)
小さいけどショーファードリブン。ショーファードリブンとは、運転手付きのクルマのことで、国産車ならトヨタ センチュリーとか、今では消滅してしまった日産 プレジデントなどのお抱え運転手付き社長様のご用達車のことです。ベースとなったのは、ミニ(そう、あのミニ―クーパーとかで大活躍した。)。設計者のアレックス イシゴニスが、ミニのロールスロイスを目指して開発した小さな高級車です。
トヨタ スタウト(1960年発売)
トヨタの元祖ピックアップトラック。ハイラックスの前モデルになるのがスタウト。アメリカのピックアップを意識した骨太デザインはタフなイメージですね。「ぜっしゃか!」とは無縁な北の国からの黒板五郎の愛車としてドラマの劇中車として出ていました。私的には、電気屋さんのクルマとして子供のころから親しんでいました。
「ぜっしゃか!」では、レストアベース車両をサルベージするレッカー車として登場。絶版車が絶版車をサルベージする様は圧巻です。特徴的なウインカーのデザインのフロントマスクが印象的ですね。
マツダ R360クーペ(1960年発売)
「ぜっしゃか!」漫画1巻の表紙に描かれているのがマツダ R360クーペ。マツダが初めて販売した乗用車です。2ドアクーペながら4人乗車を実現しましたが、後席に大人が座るはかなり窮屈で、あくまでも小学生向けになっているようです。エンジンは、リヤに360ccV型2気筒空冷式OHVエンジンが搭載され、最高出力は16PSでした。当時の販売価格は31万円です。昭和35年の大卒大卒初任給は、1万0800円です。未来的な円盤をモチーフとした流麗なデザインがオート三輪トラックT1500を作っている会社から開発されたのが驚きですね。